2009年02月04日

己を信じ、人を疑い、人を信じ、己を疑う

人を疑うという行為は

必ずしも悪いということではない



「信じる」という行為は

確かに、崇高で、紳士的態度



でもその行為を

必ずしも良しというのだろうか



僕は最近

こう考えるようになってきた



人を疑うこと、それは

その人を知ろうという行為なのではないか



その人のことをもっと知りたいから

その人のことを、わかるまで疑う



その人のことを信じられないから疑うんじゃない

その人のことを信じたいから、疑う



疑うことの放棄

それは即ち、知ることの放棄



「僕はあの人を信じている」

最終的には、その言葉が一番だと思う。



でも、それは簡単に言える言葉ではない。

相手だけでなく、自分にも責任のある言葉だから。



「俺は信じてる」

その言葉を、知ることの放棄として使ってないだろうか



相手を知ることによって

今までは見えなかった部分が見えてきて



自分が傷つくことを

本能的に避けているのではないか



それは本当の意味での

信じるということにはならない



疑って

疑って疑って

疑って疑って疑って



疑うところが無くなるくらい疑ったら

その時はもう



その人のことを

信じているんだと思う



自分に対しても同じ



自分の事を信じたいなら

まずは、疑ってみること



本当に俺は、これが出来るのか

本当に、これでよかったのか



それを乗り越えて

自分を信じることが出来た時




それは

自信に変わる
posted by タロー at 04:41| Comment(0) | 言の葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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